60~70年代洋楽
回想 グランドファンク in後楽園球場

1970年代に私が体験したロックコンサート回想。
第二回目は「グランドファンク」。
正しくは「グランド・ファンク・レイルロード」。
略してGFRとも呼んでいたが、今ネットでGFRを検索しても医学用語しかヒットしない。
レッドツェッペリン来日から遡ること2か月。
7月17日午後6時。大学の親友Ⅰと後楽園球場(現在の東京ドーム)内野席へ。
グランドにアリーナ席はなく、ステージがポツンと設えてある。
私たちの席はかなり後方だったが、前方フェンス際と大差はない感じだ。何しろチケットがたったの1,000円!
現在の相場の10分の1以下だ。
チケットにロックカーニバルとあるように前座のバンドも多士済々。
最初に登場したのが「モップス」。当時、「ゴールデンカップス」と並ぶ実力派バンドだった。
ボーカルの鈴木ヒロミツは故人になってしまった。
「ええじゃないか」以外は何を演ったかは覚えていない。
続いて登場は麻生レミ。バックのメンバーが凄い。
井上堯之(G)、山内テツ(B)、原田祐臣(DS)といった面々。
ジャニスのカバーだったか、何を演ったかは覚えていない。
マッシュマッカーン
そして当時「霧の中の二人」がヒットしていたカナダのバンド「マッシュマッカーン」。
「チルドレン・オブ・ザ・サン」など数曲演奏し、ラストの「霧の中の二人」のイントロに入った途端、一陣の風が球場内を吹き抜け、ステージ後方の看板が吹き飛んだ。そして轟く雷鳴。
アッという間に大粒の雨が降ってきて、会場は騒然とした雰囲気に包まれた。
夕立と思われた雨は中々やまない。
豪雨の中、お目当ての「グランドファンク」は姿を現さない。
もしや中止?
後から知ったのだが、会場に入れないファンが、入場門を破って暴動一歩手前だったらしい。
1時間以上雨の中を待ち続けたかと思う。
MCの糸井五郎氏のアナウンスがあり、暫らくして「グランドファンク」のメンバーが登場した。

降りしきる雨の中、「アー・ユー・レディー」で演奏が始まった。
我々観客のテンションはいきなりピークに。
「イン・ニード」「パラノイド」と続き、「ハート・ブレイカー」は観客全員が歌っていた。
「マーク・セイズ・オール・ライト」「T・N・U・C」。
観客はみんなずぶ濡れ。グランドファンクのメンバーもずぶ濡れでの熱演。
ラストはもちろん「孤独の叫び」。
午後10時半、雨は小止みになり、興奮冷めやらぬ観客は意外と大人しく会場を後にした。
僅か1時間余りのGFRライブだったが、みんな満足しきった表情だった。
私とⅠは身体を暖めるために、近くの食堂でラーメンを啜り、水道橋駅に向かった。
今思えばあの時のライブは、彼らの「グランドファンク ライブアルバム」(上写真)と全く同じ構成・サウンドだった。
でも、あの伝説の“嵐の中のライブ”の興奮の中に身を置けたことは、至福と言うほかない。
ジャニスのカバーだったか、何を演ったかは覚えていない。

そして当時「霧の中の二人」がヒットしていたカナダのバンド「マッシュマッカーン」。
「チルドレン・オブ・ザ・サン」など数曲演奏し、ラストの「霧の中の二人」のイントロに入った途端、一陣の風が球場内を吹き抜け、ステージ後方の看板が吹き飛んだ。そして轟く雷鳴。
アッという間に大粒の雨が降ってきて、会場は騒然とした雰囲気に包まれた。
夕立と思われた雨は中々やまない。
豪雨の中、お目当ての「グランドファンク」は姿を現さない。
もしや中止?
後から知ったのだが、会場に入れないファンが、入場門を破って暴動一歩手前だったらしい。
1時間以上雨の中を待ち続けたかと思う。
MCの糸井五郎氏のアナウンスがあり、暫らくして「グランドファンク」のメンバーが登場した。

降りしきる雨の中、「アー・ユー・レディー」で演奏が始まった。
我々観客のテンションはいきなりピークに。
「イン・ニード」「パラノイド」と続き、「ハート・ブレイカー」は観客全員が歌っていた。
「マーク・セイズ・オール・ライト」「T・N・U・C」。
観客はみんなずぶ濡れ。グランドファンクのメンバーもずぶ濡れでの熱演。
ラストはもちろん「孤独の叫び」。
午後10時半、雨は小止みになり、興奮冷めやらぬ観客は意外と大人しく会場を後にした。
僅か1時間余りのGFRライブだったが、みんな満足しきった表情だった。
私とⅠは身体を暖めるために、近くの食堂でラーメンを啜り、水道橋駅に向かった。
今思えばあの時のライブは、彼らの「グランドファンク ライブアルバム」(上写真)と全く同じ構成・サウンドだった。
でも、あの伝説の“嵐の中のライブ”の興奮の中に身を置けたことは、至福と言うほかない。